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2026-06-14

緊急帰国

先週の初め、ベトナムのTRC (Teporary Residence Certificate)発行のため、パスポートをベトナムの役所に提出していた。受け取りは6/23の予定だったけど、土曜日の早朝に入ってきた父の訃報の為に急遽帰国しなくてはならなくなった。だけど役所は休みなので、パスポートを変規約してもらえない可能性が高い。訃報を聞いた午前2時過ぎ、直ちにフライトは予約・発券したんだけど、帰れるかどうかは不透明な状況だった。

VISAなどを担当しているベトナム人Staffの女性にSNSで急遽帰国する必要がある旨伝えたところ、午前4時頃に「今日は休日なので役所は稼働していない。パスポートの返却を依頼するとTRCの手続きがゼロからやり直しになる可能性が高い。」との返答。「父が亡くなり、急遽帰国しなければならなくなった」と伝えると、状況を察してすぐに行動してくれた。電話では連絡がつかないので役所に出向いて、パスポートがどこにあるか懸命に探してくれた。

午前10時ころ、パスポートを保管している事務所が判明。パスポート返却の理由を説明した会社のLetterを作成し、役所に提出。午後1時に無事パスポートが俺の手元に届いた。休みにもかかわらずパスポートを入手するために行動してくれたベトナム人スタッフには本当に感謝している。お蔭でANAの深夜便に乗り午前7時に羽田に到着、自宅で礼服をピックアップし息子を連れて午後1時のフライトに乗り香川に到着。入棺の前に無事葬祭場に着くことができた。長い長い1日だった。

この日は葬祭場の宿泊施設に息子と一緒に泊まり、親父の亡骸の横で一夜を過ごした。朝5時に起きてサッカーW杯初戦のオランダ戦を観戦。親父はスポーツ観戦が好きだったので、最後の時間を過ごせて幸せだったと思う。俺が死ぬとき一番会いたいと思う一人が息子だと思うので、葬儀に間に合ったのは最後の親孝行になったかもしれない。

2026-06-13

ありがとう

親父が亡くなった。いつかこの日が来るとは思ってたけど、その時は突然やってきた。心筋梗塞で病院に運ばれたのが2週間前。手術は成功し意識も戻り順調に回復しているとの報告を受けて少し安心してたんだけど、土曜日の早朝に容態が急変し循環器不全で帰らぬ人となった。年老いて施設には入りたくないと言っていた親父らしい、ピンピンコロリな最後だった。電話で涙声で言葉に詰まる母の声を聞くと、涙が出てきた。胸が詰まるような、こんな気持ちになったのは初めて。

親父は晴れの日も雨の日も、暑い夏の日も寒い冬の日も畑に出て働いていた。俺が学校から帰ると、いつも畑には働く両親がいた。今思えば15歳の春に実家を出たのは人よりもちょっと早かったけど、希望の高専に合格したのを一番喜んでくれたのは親父だった。大学の編入試験で「尊敬する人は?」と尋ねられ、「父です」と答えた。俺にとって大きな存在だったんだと思う。

炊事や洗濯は母に任せっきりで、親父は何一つ料理もできなかった。残された母のことが心配だけど、母より先に逝った親父は幸せだったと思う。翌日の日曜日が友引だったので、月曜日に親族で送った。俺がベトナムから帰国して間に合うように、土曜日まで頑張ってくれたのかな。

2026-06-02

緊急手術

妻からLINEで親父の手術が無事成功したとの連絡があった。開胸手術は明け方までかかることが予想されると説明を受けていたようだけど、予想よりも早く手術は終わったとのこと。母は病院から促されていったん自宅に戻ったのも束の間、治療箇所から出血が見られた為に再手術が行われたとのことで、とんぼ返りでタクシーを呼んで病院に向かったんだそう。母にとっては本当に長くて大変な一日だったと思う。

母と電話で話したところ、昨日よりはだいぶ落ち着いた声で少し安心した。親父は昨晩体調が優れず横になっている間に意識を失い、その後のたうちまわるほどの強い胸の痛みを訴えたとのこと。意識を失っていることに気付いた母が直ちに救急車を呼んだのが良かったんだと思う。発症から救急車が到着して応急処置が施されるまで1時間弱、病院に着くまで2時間は掛かっていないというから、一刻を争う心筋梗塞の対処としては適切だったと思う。また地元でも一、二を競うほど設備の整った大きな病院に運ばれたのも運が良かったと思う。

ICUに入っていてまだ予断を許さない状況に変わりはないけど、とりあえず最大の山は超えたんじゃないかと思う。親父は83歳と高齢だけど、当日も畑仕事をしていたくらいなので体力はまだあるハズ。親父は必ず元気になって自宅に戻ると信じている。

2026-06-01

親父

83歳の親父が心筋梗塞で病院に運ばれ、いま地元の医大病院で緊急手術を受けている。母親と電話で話をしたんだけど、いつものお袋の話しぶりとは明らかに違っていて動揺が感じられた。緊急手術を行っているもののいつ心臓が止まってもおかしくないとのことで、お袋は色々な承諾書に署名したとのこと。俺はそばにいてあげることができないので、妻に大至急故郷の香川に飛んで母に付き添うよう頼んだ。海外で働くことを選んだ俺がやってあげられることは少ない。

俺は社会人になって以来、必ず盆とお正月とGW、1年に3回は実家に帰省してきた。今年も3月に帰省した時に両親と会ってるし、飯を食いながら一緒に酒を飲んだ。いつ何があっても後悔しないように、俺なりに行動してきたつもり。実家に帰省できたにもかかわらず帰省しなかったのは2001年のお盆休みだけ。社会人になってからずっと離れて暮らしてきたけれど、地元で暮らしてた兄よりも両親とは多く会ってきた。母親とは昨日Facetimeで話したばかりで、その脇で親父はTVを観てた。

俺が生まれて以来、ずっと両親が居た。海外で働いてきたけど、俺にはいざという時ずっと帰る場所があった。両親はずっと俺を支えてくれていた。ずっと海外で働いてきたので親の死に目に会えないかもしれないことは覚悟してきたつもりだし、何があっても後悔は無いけれど、いま突然の別れは本意じゃない。親父、頼む、頑張ってくれ、あの世に行くにははまだ早い。もう一度でいいから、一緒に俺と酒を飲んで欲しい。